お腹の中にいる時の記憶を持っている子供は、意外と多い。
試しに3歳ぐらいの子供に質問してみれば、お腹の中でどんな格好をしていたか…とか、どんな音を聞いたか…とかを答える事もある。
私の場合、母のお腹にいる時の記憶もあるけれど、それ以前の記憶…も知っている。
前世とかではなく、私が父と母を選んでお腹に入る頃合を見計らっていた?ような時期からの記憶が、特に鮮明にあるのだ。
それは、両親が結婚して間もない頃のことだった。
私の父のすぐ上の実兄(私の叔父)は、私の母のすぐ上の実姉(私の叔母)と結婚している。
要するに、兄姉と弟妹同士の結婚なのだ。
だから普通の叔父叔母よりも遥かに、自分に近い血縁になる。
その叔父は、当時、国鉄職員だった。
父も国鉄職員、祖父も国鉄職員…と、鉄男一家だったのである。
その叔父が、鶴見駅の線路工事中に、貨物列車事故に巻き込まれたのだ。
私の両親には、まだ子供は居なかった。
本当に、結婚して間も無い頃の話である。
この列車事故は、今で言う労災にあたる。
線路の交換作業をしている時は、電車が入ってこないように信号を送る人が居る。
しかし何らかの手違いで、【進入可】の信号を送り、電車に巻き込まれてしまったのである。
叔父以外にも5人か6人の作業員が事故に巻き込まれ、亡くなられた方も居た。
叔父は、頭部損傷の怪我で入院していた。
私は病院のベッドで横たわっている叔父の姿を、記憶している。
これは記憶と言うより、母や父の体験をリーディングした記憶と言った方が正しいと思う。
叔父が受けていた治療も知っていて、両親にこの話をした時は、生まれる事すら決まっていなかった時期(といっても前世ではない)だったので、さすがに驚いた様子だった。
姉は二卵性双生児の生き残った片割れ。
亡くなったのは兄だった。
兄は、生まれて1日で天に召された。
このお産で大出血をした母は、一ヶ月間意識不明で入院していた。
体の血液を全て入れ替えるほどの輸血をしている。
母のもともとの血液を、輸血で入れ替えた後に生まれたのが、私なのだ。
母は私が生まれたときから、何となく普通の赤ん坊とは違う…と感じていたそうだ。
私は逆子の自然分娩で生まれている。
出産に立ち会った医師が向きを変えようとしても、頑として動こうとせず、あっさり足から生まれてきたのである。
しかも泣き声をあげずに、にこにこ笑っていた。
実はこれにも理由があって、頭から落下するように生まれることを拒絶した経緯がある。
頭を先に出すなんて「野蛮な行為」は、嫌だった(笑)。
自分の主張を押し通せた達成感で誕生したのだ。
にこにこ笑っていても、当然であろう。
逆子で生まれた事による後遺症で、長く病院通いをしていた母と私なのだが、この「泣かない赤ん坊」と言う個性は、大いに役立った。
病院には、電車を使っていた。
今と違って自家用車なんて無い。
病院へ通うのだって、バスや電車や徒歩が当たり前の時代だった。
当時、両親が住んでいたのは、川崎。
私が生まれた病院は、新宿の国鉄病院である。(今は無い)
首の筋肉が萎縮する『筋性斜頚』と言う病気を防ぐ為に、硬く凝り固まっていく首の筋肉のマッサージ治療をする為に、母は私を抱いて片道1時間の通院をしていた。
そんな通院を、1年も続けたのだ。
事件が無かったはずは無い。
川崎駅の階段で足を踏み外した母は、抱いていた私を投げ飛ばしてしまった。
母は階段から転がり落ち、私はプラットホームまで吹っ飛ばされた。
頭から落ちていたら危なかったのだろうけど、まるっと落ちて落下したので、ボスっと抱かれた形のまま落下。
慌てたのは、母と周囲に居た人達である。
電車を待つ人が心配して、落下した私の側に駆け寄ってくれた。
まだまだ、日本人に温かい血の通っていた、古き良き昭和だった…。
大方の心配を他所に、私はきゃっきゃと笑っていた。
その時の記憶も、はっきりと覚えているのだけれど、私は空中に放り出されたと同時に、長い白髪の着物を着たおじいさんに、ふわぁ~っと抱きかかえられた。
だから、全然痛くなかったし、怖くなかった。
何よりもそのおじいさんのとても優しいエネルギーに包まれて、嬉しくて仕方が無かったのである。
当然ながら、そのおじいさんは、他の人には見えていない。
私にだけ見えた、私を絶対に守ってくれる存在だった。
母は両膝や手を擦り傷だらけにしたし、それ以外にもあっちこっちぶつけて痣だらけになっていた。
自分の怪我も気にせずに、必死で私の元に駆け寄ってくれた母。
私が無事だと分ると、本当に安心した顔で周囲の人にお礼を言っていた。
母の優しさ、周囲の人の親切な心を、私は今でも忘れていない。
思い出すたびに、感謝の想いが熱く込み上げてくる。
それ以外にも、混雑する電車の中で、1度も泣いた事が無い。
それも、ぎゅーぎゅーのすし詰め状態の中で抱かれていたけれど、私はまるで卵のような空間に守られていた。
だから居心地の悪さなんて感じた事が無かった。
電車の中で、何度も何度も、「イイコだね、泣かないなんて偉いね!」と声を掛けてもらった。
席を譲ってくれた人も沢山居た。
私は、人間の持つ慈悲の心に触れていた。
そんなちょっと妙な赤ん坊の私は、1歳9ヶ月まで、立つ事も歩く事もしなかった。
ハイハイで超スピーディーに移動する姿は、1歳9ヶ月まで続いた。
そして1歳9ヶ月になって、突然、すくっと立ち上がって…すたすた歩き出したのである。
そう言う赤ん坊だった。
両親は、どこかオカシイ、何か違う…と感じて病院に行ったり心配したり…していたけど、それでも私をとても愛してくれた。
父は何度も何度も、私を抱き上げて、高い高いや肩車をしてくれた。
母は、私のほっぺたを何度も優しく触れてくれた。
そんな赤ん坊時代だった。
姉が母を呼びに走る。
姉は、何度も浜辺を転びながら必死に走ったそうだ。
必死で足を動かすけれど、思うように前に進まない。
もどかしいほどの時間だった…と、後に姉は語ってくれた。
姉が悲鳴を上げ、泣きながら走る姿を見た母は、時間が凄くゆっくり流れるように感じた…と後で聞かせてくれた。
「まるでスローモーションのようだった。」
満身創痍で入院していた私に、母はそう言った。
一人残された私は、その時、確かに違う次元に飛んでいた(と思う)。
勿論それは私の感覚であり、実際の私はと言えば、ひたすら救助を待っていたように見えたであろう。
止まらない出血の為に、傍目から観れば…生きているように見えなかったかもしれない。
後に知らされたのは、その事故現場は、一週間前…まさに私の自爆事故があった同じ時刻に、同級生が重体で病院に担ぎ込まれたそうである。
彼は、記憶障害の後遺症に苦しむ事になった。
事故の続いていた現場だった事もあって、私への救急車出動依頼は、なんと5件にも及んだそうである。
通りすがりの人や、近所に住む方達が、何度も緊急電話の119を要請したと言う事である。
ありがたい話である。
だけど、私は確かに、違う次元へ飛んでいた。
最初に見た記憶は、その場所が地球では無いと感じた。
濃い濃密な大気は、酸素とは違う。
植物も見慣れていた草木ではない。
そして人間のようで人間ではない、だけど確かに地球上に存在する人間よりも遥かに、高いスピリットを持った存在。
そこは遥か遠い過去。
地球が誕生する前に、私の魂が降り立った惑星。
それから一気に流れ込んでくる記憶の洪水。
目の前をどんどん流れていく。
まるでカメラを通して観ているような感覚。
母達が私が倒れている場所に来る時間は、ほんの5分程度である。
だけど5分には思えなかった。
永遠の時間が、流れていた。
見せられた過去の記憶は、全てが、私の魂が経験してきた前世である。
その話を、「栞糸を辿って」と言う題名で書いていこうと思う。
見せられた過去の中には、アメリカ・インディアンだった時代もあった。
また、チベットで僧侶だった時代もある。
それ以外にも、沢山の人を無差別に殺してしまっていた時代もあれば、広島で被爆した過去も見せられた。
17歳の時に、死ななかった私。
私は、13歳の時から「17歳で死ぬ」と予知されていた。
正確に言えば、「17歳で殺す」と予告されていたのである。
私が存在し続ける事は、ダークサイドのエネルギー達からすると、非常に邪魔な存在なのだ…と言う事だった。
だけど、17歳で死ななかった。
私は、多くの存在から守られた。
それは、17歳の時だけは無い。
誕生の時から何度も何度も死に掛けた私は、それでもしぶとく生きている。
今現在も、生かされ続けたのである。
そのことの意味を、何のために生かされ続けているのか…を、記録して行こうと思う。
この作業は、決して楽しい作業ではない。
闇の時代、光の時代と経験してきた記憶を、1つ1つ掘り出していく作業であり、17歳の時に見せられたヴィジョンの中には、未来の地球の姿もあったのである。
このヴィジョンは、長く封印してきた。
観なかった事にしようとした私が居た。
死に目に何度も遭いながら、それでも死ぬ事を許されなかった私は、やっとようやく…記憶の封印を解こうとしている。
それは、この激動の時代を生きる『新しい世代』へのメッセージでもある。
壮大な夢物語と思われても良い。
妄想癖の戯言と笑っても良い。
だけど、地球のエネルギーは確実に、シフト・チェンジしているのだ。
このダイナミックな躍動に翻弄される事無く、たおやかに、しなやかに生きて行くには、知って欲しい事がある。
そんな戯言に、ほんの少しだけ、お付き合いして頂きたい。
「だったら、バイクで出かければ良いじゃないの。」
あっけらかんとした声で、母は私に言った。
それは、夏休みに入った1982年7月20日。
17歳の夏だった。
私は終業式の1週間前から、奇妙な夢を見続けていた。
潮の香り。
トンネル。
トンネルを抜けた先の坂道。
坂道の先にあるのは、電話ボックス。
何かを伝えようと見せられているような夢だった。
それが、終業式前日の晩に理解できた。
私は、原付バイクで自爆事故を起すのだ。
場所は海に続くトンネル。
車が立ち入れないように、18時に鉄柵が入るその場所で、私は顔面と頭部を強打しバイクごと吹き飛ばされるのだ。
救急車の音が聞こえ、血まみれの私を母が支える。
「お母さん、ごめんね。」そう言った私は、母の腕の中で息絶える。
1982年7月19日に、克明に見た夢である。
終業式が終わり、学校から帰る道すがら…同級生の親しい友人数人に、この話をした。
「夏休みが終わっても、もう会えないかもね。」
なんて冗談を言いながら。
帰宅してすぐに母から言われたのは、海辺で会社の人達とバーベキューをすると言う話だった。
当時、精神的なストレスで落ち込んでいた姉も同行することが決まっていて、だけど私は、その日の夜にバイト先の彼氏と会う約束をしていた。
その事を理由に頑なに行きたくない…と言い張っていたのだが、もう1つの理由は、行けば死ぬかもしれない…と分っていたから。
一度言い出したら聞かない私の性格を知っている母は、本当に何の気なしに言ったのである。
「歩くのが嫌なら、バイクで行けば良いでしょう?」
その言葉に従えばどうなるか分っていた筈なのに、私は同意したのである。
そして、事故は起きた。
バーベキューに集まっていたのは、母の会社の人達。
当然ながら話は聞いていてもつまらない。
私は彼に電話してくるから…と姉を誘って、原付バイクで2人乗りをしていた。
砂浜を走りながら、公衆電話を探した。
そうだ、確かトンネルの先に公衆電話があった筈だ。
そして私は、トンネルに吸い込まれていった。
いきなり目の前が真っ暗になった。
鈍い衝撃音が頭の中に響き渡り、私は後ろへ吹っ飛ばされた。
18時以降に車の立ち入りを防ぐ為に、道路から続くトンネルの出入り口には、鉄柵がはめ込まれる。
その事を『夢でしか』知らなかった私は、鉄柵に左目から激突。
その衝撃で頭部を鉄柵に打ちつけ、その勢いでそのまま後ろへ吹っ飛ばされ、アスファルトの地面に叩きつけられた。
「やだー、何やってるの?」
姉は、最初は冗談だと思ったそうだ。
トンネルを抜ければ、その先は坂道で公道になる。
姉にはバイクから降りて貰っていた。
事故の経緯を一部始終目撃していた姉である。
声を掛けても立ち上がらない私に、笑いながら近付いた姉の声は、断末魔のような悲鳴に変わった。
「こずえ、こずえ、どうしたのっ!!すぐにお母さんを呼んでくるから。」
姉は血まみれの私を見て、泣きながら走り出した。
母を呼ぶために…である。
その場に一人残された私は、頭を持ち上げようとした。
持ち上がらない。
痛みよりも、その重さで身動きが取れなかった。
どくどくと流れ出る血液が、妙に温かかった。
左目は激突した時の衝撃で、全く開かなかった。
顔面と頭部を強打している状態なので、私の周囲は血溜りになっていた。
倒れている私の脇を、2人のサーファーが通り過ぎて行った。
最初に救急車を呼んでくれた人達なのだが、通り過ぎながらこう呟いていた。
「あ~、こりゃ、助からないな…。」
その言葉を聞いて、そう言えば夢を見ていたんだ…と思い出した。
夢とまったく同じ場所だった。
「そうか、私は死ぬんだな。」
そう思った瞬間に、体の力が抜けた。
そして、私は全てを見せられた。
私の魂が見てきた過去を、私の魂が経験してきた前世を、そして…。
これから先、私の魂が体験するであろう来世を。
自爆事故の夢は、警告だったのである。
それは、私を守護している存在からのメッセージだった。
その時、私は一度、死んだ。
何を今更…私が最初に発した言葉である。
当たり前だけど、大分県の話だけではない。
日本全国津々浦々まで、当たり前のように蔓延っている悪しき習慣なのである。
何で今更騒ぐ?そう思っているのは、私だけではない筈だ。
のみならず、この話は教師だけに留まらない。
そんな事は誰もが当たり前に知っているであろう。
誰もが知っていて、誰もが当たり前だと思っていて、何で今更?と感じているのは、当然ながら【そう言う方法で教師になった教師達】や、【そう言う方法で役場勤務が出来ている公務員達】ではないか?
今頃、ドキドキしているだろうに…。
私の在住している山梨なんぞは、輿石氏が居るのだ。
調査をして問題は無い…なんて言っているようだが、それこそ眉唾であろう。
教育関係者が調査したって、全員が何の罪の意識も持たずに、なんちゃって教師を大量生産しているのだから、問題を問題と捉えていない筈である。
それこそ、「何を…今更…。」と呟いている事であろう。
平成8年頃から、きな臭さ全開の輿石氏。
民主党にとって、大きなダメージを与える事は間違いない筈である。
「山梨県は大分県とは違う!」と抜かすのなら、教育関係者ではなく、外部の調査を入れるべきであろう。
それが出来ない、もしくはしないのであれば、認めている事になる筈だ。
山梨に嫁いできて15年になる。
親が教師で子供も教師…と言うケースの多さに、唖然とした事が何度もある。
その教師が教師たる資質を持ち合わせているのならともかく、教師は食いっぱぐれが無いから…と言う理由で教師になっている連中が、盛り沢山なのだ。
そんな教師から教育を受けるなんて、私だったら、真っ平ごめんと言いたい。
地方公務員も同様である。
余程の失態が無い限り、クビにされる事が無い公務員である。
仕事の出来不出来は関係ない。
公務員として【顔の聞く縁故関係者】さえ居れば、どうにか潜り込めるのだ。
そんな連中は、決して、【公に勤める】事なんぞ期待出来るあろう筈が無い。
こうやって、日本は崩壊していくのだ。
公務員こそが、滅私奉公をすべきなのに、公務員は食いっぱぐれない…何ぞという、とんでもない目的で公務員になるのだ。
冗談じゃないぞ。
給料を払っているのは、【市役所】ではない。
株式会社市役所でも無ければ、財団法人県庁でもない。
全ては、税金なのだ。
仕事が大変だから?
そんな事は当たり前である。
公務員が楽して稼いでどうするんだ?
公務員こそが一番汗水流して働き、公務員こそが給料なんぞ要らない…と言う気概が無ければ、公務員になる資格は無い。
そんな連中を税金で食わせるほど、私は心が広くない。
私が総理大臣になったら、全員、間違いなく、クビにしてやる。
甘っちょろい考えで、公務員だったら一生困らないとか思ってる奴らは、全員、残さず、クビである。
今の日本国民は、本当に優しい。
今の総理大臣は、本当に心が広い。
いや…むしろ、幸せなバカなのか?
…さて、次は、どこが吊るし上げられるのかな?
洞爺湖サミットは、どうやら、何事も無く終わったようである。
何しろ、禍根の地でのサミット開催。
まるで過去の日本を笑うかのような、暗雲立ち込める会場だった。
(※注※北海道と言う地は、かつて、日本国がアイヌ民族に対して徹底した民族浄化を行った地である。日本人の中に、一体、どれだけの人がアイヌ民族の悲劇を知っているのだろうか。)
日本と言う国は、大東亜戦争の頃から、何も成長していない。
特に外交に関しては、世界中から取り残されている国が、日本であると言う自覚すらないのだから、情けなくて涙が出てくる。
日本の外交手腕と言うのは、まるで幼稚園児童がハーバード首席相手に戦っているような情けなさである。
自国の国益を守れない外交が、一体、どの国に存在するのだろうか?
国益だけを考えるのなら、北朝鮮の方がよほど頭の良い外交をしている。
以前もブログで書いているけれど、韓国は、世界地図でさえ、正しく教育していない。
【日本よりも大きい韓国】を公然と授業で教えているのである。
しかし、国益を軽んじている日本よりも、マシなのかもしれない。
何故、竹島を日本領土と言えないのか?
どの国に対して、尻尾を振っているのか?
全く理解出来ない。
国益を全く主張しない外交なんて、有り得ないだろうに…。
一体、この国は、どうなってしまったのだろうか?
実体の伴わない政府が、あっちにもこっちにも、気配り外交をしているのである。
福田総理なんぞは、「どーせ長く続かないんだから…。」とでも考えているのだろうか?
日本政府が一本筋を通せない理由は、コロコロと総理大臣が代わる事にも原因があり、民主党の小沢氏に政権を!なんぞとほざく国民にも原因があるのだ。
小沢氏が総理大臣になんてなったら、とんでもない事になる。
自分の発言に対して責任を持たない、あの曖昧さは、気持ちが悪い。
銀座時代には、永田町の魑魅魍魎達の話を聞かされていた事もあって、民主党が政権を握るくらいなら、日本脱出しなければ…と真剣に考えるほどである。
再び、大東亜戦争当時のABC包囲網的立場に立たされている日本は、世界から完全に取り残され、蚊帳の外に置かれた国なのだ。
アメリカやEU連合、ロシア、中国は、裏で協定を結んでいる筈である。
それにインドだって、ブラジルだって、南アフリカだって、日本なんて全然あてにしてない。
日本に出してもらいたいのは、お金と技術力だけなのだ。
あー…もう、この幼い幼稚な国家は、ホントーにこのままじゃヤバイんだけどなぁ…。
そうは思っていても、日本政府筋は、全然危機感が無いんだから、悲しい。
いっそ、クーデターでも起してやろうか…とか思っちゃうぜ…。
永田町に巣食う怪物を、一掃すべし!デスよ。
環境サミット…と言われているようだが、全然、エコロジーじゃない。
各国首脳は、専用チャーター機でガソリン垂れ流し&二酸化炭素放出しまくり…ながら、北海道にやって来た。
日本中の警察関係車両が、あっちこっちで蠢いている。
何で一箇所に集まる必要があるのか?
技術力で環境を守ると言うのなら、インターネット回線のテレビ電話形式でサミットを開催すればいいのだ。
誰もが見られる開かれたサミットにする為には、こそこそと個別会談が出来ない形式を取るのが、一番良いのだ。
もし、私が過激なテロリストだったら。
こんな絶好の機会を逃すわけが無い。
「最終兵器彼女」と言う高橋しん氏が描いた漫画がある。
北海道の札幌が、空襲され世界戦争に突入するストーリーである。
世界をひっくり返そうと目論むテロリストだったら、迷う事無く北海道に核兵器を投下するだろう。
何もテロリストを刺激するような真似をする必要は無いのに、わざわざ日本の外地・北海道に各国首脳がガソリン垂れ流しで集まって、贅沢な食事を食べ、世界の食糧危機や環境問題を議論するわけだ。
世界中で餓えている人が居るのに。
世界中が貧困に喘いでいるのに。
温暖化でヒートアップする地球の青息吐息は関係ないらしい。
何で、わざわざ、二酸化炭素を盛大に放出して北海道に集まる必要があるのだ??
全く持って、理解に苦しむ。
エコロジーと叫ぶのであれば、移動手段にガソリンを使うべきではない。
お手軽高速な手段を使うと言うのは、エコロジーでは無いのだ。
そんな基本的な事も棚上げして、2050年までに二酸化炭素排出量を半分にするなんて、ヘソで茶が瞬間沸騰しそうなほど、オカシナ話である。
そして、世界的な原油高騰に関してである。
ブッシュ大統領は、原油高騰に危機感を募らせているのではない。
原油高騰大歓迎なのである。
だって、儲かっちゃって、儲かっちゃって、笑いが止まらないのだ。
ウハウハである。
大統領である前に、強欲な爺様である。
アメリカ合衆国は、こう言う大統領を持ったことを恥ずべきなのだ。
各国の首脳は、どいつもこいつも、揃いも揃って、悪人面丸出しのどす黒いオーラぶんぶんに放出している。
これこそが、環境悪である。
食糧危機にしても、原油高騰にしても、現物が無くなりそうな中で起きた問題ではないのだ。
もし、この問題を解決するのであれば、食料やエネルギーに投資マネーを流入させない為の世界的なルールを作れば良い事である。
原油は適正価格で取引されるべきだし、限りある資源に有り余る大金をつぎ込み、懐を肥やす投資家は必要ないのだ。
サミットって、本当は何なのだろう。
私達が知らない所で、何か内緒のお話が成立しているんじゃないのだろうか?
これだけインターネットが行き届いているのに、テレビ電話サミットに踏み切らないのは、「会わなきゃ話にならない。」なんて屁理屈にしか聞こえないのは、私だけなのだろうか。
それから、開催国で議長国である、我が国ニッポン。
そのニッポンの総理が、福田である。
あの舞い上がっている顔に、何を期待出来ると言うのだろうか。
チャイナLOVEの福田が、環境問題に強い発言をすると思われるか?
原油高騰で喘ぐ国民よりも、自分の懐を肥やす事にLOVEなブッシュが、一体、どんな対策を練ると言うのだ?
どいつも、こいつも、最低な奴らである。
よって、サミットに意味など無い。
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早朝のつくばで、大あくびをするやっこ。
1998年8月9日に生まれた、グレート・ピレニーズ・牡のやっこ。
今日、安楽死をさせた。
3日前から、リンパ腫が悪化し、一気に腫瘍が大きくなり、そのせいでリンパ液の流れが滞ってしまい、顔中に浮腫が出ていた。
外科的な治療も出来ないし、内科的な治療も出来ない。
やっこは、先天性の癲癇があるからである。
外科手術で使う麻酔を使えば、そのまま目が覚めない可能性もある。
放射線や抗がん剤の治療も、癲癇発作を起す引き金になる。
結局、何も打つ手が無い状態だったまま、今朝になってリンパ腫が破裂し、出血が始まった。
この時期、リンパ液の混ざった出血があれば、すぐに蝿が集って来る。
蝿がやっこの身体に卵を産み付ければ、あっと言う間に蛆虫だらけになってしまう。
生きながらに蛆虫に食われると言う、残酷な状態になる。
これ以上生かしておく事は、やっこに苦痛を与えるだけ…と判断し、安楽死をさせた。
ここ3日間、食餌を取らなかったやっこ。
癲癇が発症してからと言うもの、太れずに30キロしか体重が無かった。
2年前から奇跡的に癲癇の発作が治まり、めきめきと食べ初めてからは、40キロまで体重が増えていた。
だけど、今日のやっこは、33キロだった。
癲癇の発作が治まる前までは、一日に2~3回の昏倒があり、所構わず倒れ、強いひきつけ状態になっていた。
2年前から駄目元で、ホリスティック医療を取り入れた。
ホメオパシー・レメディと、バッチフラワー・レメディである。
それが功を奏したのか、本当に説明出来ない奇跡が起きた。
この2年の間、一度も昏倒しなかったのである。
発作が起きても昏倒するほどまでにはならず、ぐぐぐっ・・・と堪えるようになった。
強いひきつけ発作ではない事で、心肺への負担が激減した。
7歳になってから、成長が再び始まったのである。
幸せな2年間だった。
シャンプーは大変だったし、雨の日も雪の日も、欠かさずする散歩は大変だった。
だけど、一度も倒れなかったやっこに、「もしかしたら10歳まで生きられるのかな???」なんて問い掛けていた。
やっこは、私の言葉に首を傾げながら聞いていた。
「ぼく、10歳まで頑張って生きるよ。」
そんなことを言っているかのように…。
安楽死を決めたのは、13時30分。
やっこは、まだまだ、生きる気力で満ち溢れていた。
血膿を滴らせた状態でも、自分で歩く。
犬舎に入りたがり、冷房を付けてくれとせがんだ。
顔が腫れているから、食べたいものしか食べなかった。
冷凍して凍らせたスモークレバーを、スライサーで削って食べさせれば、喜んで食べた。
やっこは、来月の誕生日まで生きようとしていたのだ。
私の願いを聞き入れて、10歳まで頑張ろうとしていたのである。
私のエゴ丸出しの願いを聞き入れて生きようとした命を、私は奪ったのである。
厄介な身体を持って生まれてきたやっこ。
だけど、今日、その身体から卒業した。
麻酔を入れる時、左手を握っている私をじっと見詰めた。
旅立ちの前に、私の顔をじっと見詰めたのだ。
私は、やっこの耳元で囁いた。
「大丈夫、怖くないよ。すぐに会える。先に行って待ってなさい。」
最期の最期まで、私は私の望む願いを伝えた。
愛する四本足の命を、私は今日初めて、私の意思で奪った。
その罪の重さを、これから背負って生きて行く。
命とは、こう言うことなのだ。
生きている命を奪うと言うのは、こう言うことなのである。
今日のこの日を、決して忘れない。
やっこ、本当に、本当に、最期まで手間ばかりかけさせたやっこ。
優しくて、他の犬達よりもゆっくりとした時間を持っていたやっこ。
今まで、ありがとう。
私の願いを聞いてくれて、ありがとう。
タグ:
被害者の方は、【梢】さんと仰られる。
私は平仮名の【こずえ】。
そのせいなのか、とても他人事とは思えない事件である。
私は左腕肘下の内側に、『クローバーをくわえたツバメ』と『リボンにMITAKUYE OYASINの文字』のTATTOOを入れている。
私のマークなのである。
仕事の時はサポーターでガードして隠しているけれど、普段はそのままの状態にしている。
いつも目に触れる位置に入れているので、とても愛しく思える。
殺された梢さんは、背中~腰の部分に蝶と薔薇を彫っていた。
それから右上腕部には、クモのTATTOOが入っていたそうである。
私は、ファースト・TATTOOを入れた時、痛いと聞いていたほどの痛みは無く、逆に心地良い痛みだった。
その時、これはクセになるなぁ…と感じた。
実際に、その後暫くは、右肩辺りにTATTOOを入れたくて仕方が無かったほどである。
私が入れた理由は、自分のマークにしたかった事。
それから、ツバメは私が大好きな動物だから。
入れている文字『MITAKUYE OYASIN』は、インディアンの言葉で、『私に繋がる全て』と言う意味である。
私は、生きているのではない。
小さい時から、何度も死に目に遭ってきた。
だけど死ななくて、今に至っている。
と言う事は、私は自分で勝手に生きているのではなく、私を守ってくれている全ての存在から、生かされているのだ。
私に起きる全ての事。
私に関わる全ての人。
私の住む国、日本。
私の愛する美しい惑星、地球。
そして深遠なる宇宙…。
全てが、私を守っている存在である。
全ての存在が、私を生かして下さっているのだ。
生かして頂いている感謝の気持ちと、これからの人生を生き切る覚悟を込めて、このTATTOOを彫ったのである。
若い梢さんは、きっとファッション的な気持ちもあったのだと想像する。
だけど、入れた時、きっと凄く嬉しかったと思う。
TATTOOと言うのは、自分を守ってくれる楯だし、生きている自分の証のような感じがあるからである。
TATTOOとか刺青と聞くと、大抵の大人達は顔をしかめて、露骨に嫌悪感を顕にする。
だけど…弱い自分を支えてくれるのは、痛い思いや周囲の白い目にも負けない気持ちで彫ったTATTOOなのだ。
目立たない子…と報道されているけど、私はとても繊細で傷付き易い子だったと思う。
高校中退後に、何か抜けられないようなラビリエンスで膝を抱えていたのでは無いだろうか。
そこから抜け出したくて、抜け出す為に、抜け出した後に力強く一歩を踏み出す為に、TATTOOを入れたんだろうなぁ…と想像する。
私が何よりも悲しかったのは、殺した犯人は梢さんの遺体までも、殺した事である。
遺体を川の中に、しかも下半身を下着姿で遺棄したのである。
殺された梢さんは、思い遣りの欠片すら感じられない残酷な行為である。
そして、彼女の魂は、何度も傷付いた。
17歳でTATTOOと言う事への、批判的な言葉がネットに溢れている。
本来はうるさく言うのならば、TATTOOは18歳未満禁止である。
しかし、お金を払ってTATTOOを入れたがる若者が居れば、モラル云々言う前に彫ってしまう彫師が居るのは、不思議なことではない。
需要と供給が一致すれば、年齢が何歳であろうと、彫ってくれるのだと思う。
17歳の梢さんは、何を思ってTATTOOを2箇所も入れたんだろうか…。
心からのご冥福を…。
合掌。
タグ:
セブンイレブンなんかでバイトをしてると、世情が見えてくるものである。
この時期、ウナギの販売に力をいれているセブンイレブンであるが、ここ数日で、【中国産ウナギ】を使ったお弁当が販売されている。
お値段は、国産に比べて安い。
だけど、はっきり言って、まずい。
私はセブンイレブンのお弁当が一番美味しいと思っている愛社精神溢れるアルバイトであるが、そのセブンイレブンをもってしてもっ!!!
中国産のウナギは、まずいのだ…。
まず、弾力が抜群である。
ゴムですか?と聞きたくなるほど、伸びが良い。
それから、味。
不気味な泥臭い味がする。
中国産のウナギは、必ず、この【不気味な泥臭い味】がするのだ。
で、件の偽装ウナギである。
国産と偽って…とあるが、国産と中国産は明らかに味が違う。
幾ら【宮崎産】だとか、【静岡産】だとかのシールが貼られていても、たとえ三ツ星レストランのシェフが渾身の腕を振るって調理したとしても、中国産の不気味な味わいは、決して消えないのである。
五感が鈍くなった日本人は、貼られたシールで味を確認しているのである。
消費期限だか、賞味期限だか分らないが、パックされてシールされている文字で味の安全を確保しているのである。
日本人の舌が壊れているんだから、偽装がてんこ盛りになっても、文句は言えまい。
中国産のウナギを、国産ウナギと目で確認して、モリモリ食べて癌になる。
なんて素敵な悪循環だろう。
いい加減に日本人は目を覚ました方が宜しいのに。
マスコミも、偽装で大騒ぎしてる場合じゃない。
壊れた味覚への警告を発するべきである。
日本人って、本当に、心底、お目出度い人種である。
私は、天皇陛下を尊敬している。
それは、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ法王と同じくらいの深い想いである。
日本神道の最高指導者と言っても過言ではない天皇陛下を、心よりお慕い申し上げている。
言っておくが、その辺のヘタレ右翼なんかよりも、筋金入りの天皇陛下LOVEである。
右翼の奴らのように、何がしかの腹黒さなんて無い。
一転の曇りもなく、天皇陛下を尊敬している。
私が生きている間は、きっと3人の天皇陛下を知る事になるだろう。
1人目は、崩御された昭和天皇。
2人目は、今上天皇。
そして、3人目は…現在の皇太子殿下になるだろう。
昭和天皇よりも、現在の天皇陛下の方が、私の中ではより深い敬愛の念がある。
昭和天皇は好きだったが、皇太后陛下が好きになれなかった。
どことなく…意地悪そうなオーラが全開だったし、実際、皇后陛下(美智子様)へのイジメは、周知の事実である。
現在の天皇・皇后は、本当に日本国のシンボルであろう。
慎ましやかで、慈悲深く、凛とした美しさ。
武士道、神道から感じさせられる、日本古来の美そのものである。
もし、天皇・皇后陛下に実際に会ってお話なんかされたら、嬉しくて悶絶しながら泣く事、間違いない。
天皇・皇后陛下の、神々しいまでのオーラは、過去の天皇家の中でも、突出していると思う。
その今上天皇がご崩御される事は、想像もしたくない。
だが…もし、そうなった時…、大丈夫なのだろうか?
今の皇太子夫妻を見ていると、今の日本の縮図を見ているような気分になる。
天皇皇后陛下へのお辞儀をされない。
公務には拒否権を発動される雅子様。
何よりも、皇室の跡継ぎを産まなかったこと。
皇太子様は、雅子様のことしか視野に入っていない。
その上、愛子様…である。
天皇家でありながら、あの、引っ込み思案は一体、何なんだ?????
あんな躾をされている雅子様は、時代が時代だったら、皇室から追い出されていただろう。
日本の皇室は、長い歴史がある。
とても貴重な歴史の積み重ねなのだ。
今上天皇陛下には、いつまでも頑張って頂きたい。
いっそ皇太子ではなく、秋篠宮ご夫妻が次の天皇陛下で良いんじゃないか?と言いたい。
しっかりしてくれよ、皇太子殿下、雅子様。
雅子様も嫌だったら、離婚しなさいな。
仏頂面&引きつり笑顔を、国民に晒すのならまだしも。。。。
公務に影響があったら、困るでしょーが。

